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トランク紛失騒動記(センタープラザニュース2005年10月号掲載)
長かった夏も終わり漸く秋が訪れ、日常の生活が戻って参りました。今回は旅行中に経験した「情けなくておかしい」お話です。
8月初旬にシアトルからカナディアンロッキーへ1週間ほど旅行しました。そのルートはシアトル空港からロッキーの玄関口、カルガリーまで飛行機を利用し、カルガリーからレンタカーでロッキーを廻る予定でした。この旅は先ず、カルガリーでつまづいてしまいました。空港でいくら待っても私たちのチェックインしたトランクが出てこないのです。仕方なく航空会社のカウンターへ行き、紛失届を提出したのですが、係員の対応には本当に驚きました。我国ならこのような場合には先ず係員は自社の不手際をわびるのですが、彼女曰く「悪いのはシアトルの空港職員で私の責任ではない」。確かに彼女の言い分は正しいのですが職業上少しはあやまった方が丸く収まると思うのですが・・・・
こうして私たちはスーツケースがないままホテルへチェックインすることになってしまいました。困ったことに替えの洋服、下着、化粧品など、旅行中に必要なすべてのものは、そのスーツケースに入れていたのです。私たちは文字通り『身ひとつ』、つまり「着たきりすずめ」の状態で24時間ほど過ごすことになりました。入浴後、夏だというのに同じ下着、同じ洋服を再び着ながら、「着たきりすずめ」は英語で何と表現するのかしらなどと考えておりました。幸いにも紛失したスーツケースは翌朝無事部屋へ届けられました。
この話はこれで終わりではなく、まだ続きがあるのです。なんと今度は帰りの飛行機で私と夫の2つのゴルフバッグがなくなってしまったのです!!私たちはまたまた航空会社のカウンターへ行くことになってしまいました。そして、係員に紛失したバッグが自宅へ届く予定の日時を確認したところ「多くの荷物がなくなった為、私たちはとても忙しくて、いつ届くなんて調べられない」と先ず言い訳した後で「家の玄関前でバッグを発見した時が届いた時です」と続け、そして急に笑顔になり、荷物が届いたら「あっ届いた!うれしい」と喜んで下さいと言うのです。
私たちはこの変な対応で、怒りよりおかしさがこみあげてきました。なるほど荷物を発見した時が届いた時なのかーと妙に納得しました。そして翌日の午後、玄関前で2つのゴルフバッグを見たときに、彼女の口調をまねして「あっー届いた!」と大きな声を出して喜びました。

「小顔って美人なの?」(センタープラザニュース2005年7月号掲載)

先日渡米した際に、友人とその娘たちの女性4人で日米美人談義に花が咲きました。友人の2人の娘は20才と18才、まさに盛りの花を見ているような美しさです。
彼女たちとどのような女性が美人なのかと話していて、日米で食い違ったのが“色白”と“小顔”です。アメリカでは肌の色が白いというのは必ずしも美人の条件ではないようです。美肌は必要ですが、肌は白いより健康的に小麦色に焼けた肌の方が魅力的とのことです。確かに我国のほとんどの女優さんは色白の美しい肌の持ち主ですがアメリカの女優やスーパーモデルは色白でない人も多いようです。
次にどうしても理解してもらえなかったのが“小顔”です。アメリカ人にとって顔の大小は全く問題にならないようです。そもそも“小顔”に該当する英語がないのです!“小顔”を文字通り訳して「small face」と言っても彼女たちはチンプンカンプン。なぜsmall face が美人なの?と尋ねられ、もし顔が大きいのがだめなら、髪の毛をカールさせて髪の毛で顔を覆って、顔の見える部分を少なく見せればどうなのって聞かれました。私は small faceという表現がそもそも適切でないことに気づき頭の大きさ、つまりhead の大小について説明しましたが、これも全く分かってもらえなかったのです。
我国では女性雑誌やファッション誌に、小顔に見せる特集記事が度々掲載されていますが、アメリカでは顔が小さいことはあまり意味がないようです。そう言えば義母が「あの人は顔が大きくて立派だ」と表現していたことを思い出しました。我国でも以前は顔の大きさは問題にされず、むしろ大きい方が良かったのかもしれません。
私は往年の時代劇俳優の驚くほど大きな顔を思い浮かべながら、目の前の“小さな顔”のアメリカ人の友人は彼の半分位の大きさかしらなどと考えていました。


「keep right」 と「車は左」(センタープラザニュース2005年5月号掲載)

20年近く前にカナダで生活を始めた時に、特に慣れるのに苦労したことに車の運転があります。御承知の通り、日本とカナダでは通行する側が反対です。即ち、我国では車は道路の左側通行なのに、カナダでは右側通行です。言葉で言うと簡単なことのようですが、実際に運転してみると、想像以上にむずかしいのです。交通量の多い道路でしかも車の流れに乗って運転する場合は、大丈夫なのですが、小さな道路から幹線道路に入る時に、前に車がいない場合は、反射的に反対側の斜線に入りそうになります。また、中央線のない道路は気がついてみると左側を通行しており、前から正面に車が近づき、あわてて右側によけたこともありました。
このような事故になりかねない経験をした後で、どうすれば間違えないで正しい右側を通行できるかを真剣に考えました。そして、ついに私なりの方法が見つかりました。それは、運転しながら「keep right」「右側通行」と呪文のように唱えながら運転することなのです。今までは気に入った音楽を聞きながら運転していたのですが、カナダでは「keep right」と大きな声で繰り返し言うのです。
こうした努力のせいか、数ヶ月も経つと、やっと間違えないで運転できるようになりました。そして「めでたし、めでたし」となるはずだったのですが、ある日、道路の反対側(左側)を通行して警察官に呼びとめられてしまいました。それはバンクーバーの郊外で、小さな道路から幹線道路に入る時でした。道路の幅があまりにも広く、しかも中央分離帯に樹木が植えてあったので、道路の左側半分を1つの道路と勘違いをして、その道の右側に進入してしまったのです。いくら右側に入っても、それは大きな道路の左側となってしまいます。すぐに気がついて、あたりを見ながら道路の脇によけたのですが、運が悪いことに、近くにいたパトカーが、私の車の動きを見ていたらしく、警官が私に近づいて来ました。私は今まで免許を取得して以来、国内では一度の駐車違反以外は、違反を犯していない模範ドライバーなのです。この私がどうして、しかもカナダで警官に捕まらなければならないのかしらと我が運命を呪い、大男の警官にどのような尋問をされるのかと、おびえながら彼が近づくのを身構えて待っていました。
ところが、カナダの警官はとても優しいのです!!彼は、「このあいだ、香港から来た女性が、道路の左側を通行して、大きな事故になったので気をつけなさい。」と言っただけで、違反キップも渡さないで立ち去ったのです。きっと彼は、おびえきって「I’m sorry」を繰り返す私をあわれに思ったのでしょう。いずれにしても彼の後姿に「Thank you so much」と心より感謝しました。


バンクーバーの冬は暖かい?(センタープラザニュース2005年2月号掲載)

ここ数年続いた暖冬に慣れてしまったせいか、今年の冬は特に寒さが厳しく感じられます。最近は冬のバンクーバーへ行っておりませんが、working ビザを持って働いていた時には季節に関係なく、バンクーバーと東京を往復しておりました。その頃、12月や1月にバンクーバーへ行くことを誰かに話すと、皆が異口同音に「冬のバンクーバーはすごく寒いの?」との質問が返ってきました。「氷点下どのくらいになるの」とか「雪の日が多いでしょう」とか尋ねられました。
我々日本人の頭の中には、カナダは寒い国だというイメージが、しっかり定着しているようです。ところが、バンクーバーの冬はそんなに寒くないのです。カナダの北部はもちろん内陸部、東部ではかなり寒く、連日日中でも氷点下の日が続きますが、暖流の影響を受けているバンクーバーの冬は東京とそれほど変わらないのです。ただ晴天に恵まれる夏と比べて、どんより曇った日が多く、雨がよく降ります。雪ではなく、雨が降るということはそれほど気温が下がっていないのです。こうした説明をしてもあまり信じてもらえなかったようで、翌年になるとまた寒いでしょうとよく聞かれました。
こんな経緯で冬のバンクーバーに滞在していた時に、カナダ在住20年以上になる日本人の友人が意外な話を聞かせてくれました。彼女によると、最近久しぶりに日本でお正月を過ごしたそうなのですが、その寒さに閉口してしまったそうです。日本の冬は北風が強く、外を歩いていると体が冷え切り、家に戻ると、家全体に暖房がきいておらず、玄関やトイレの寒さはカナダの家では経験したことのないほどの寒さだったそうです。
この話を聞いて、私は彼女の驚きがよくわかりました。冬のバンクーバーで生活をしていると、それほど寒い思いはしないですみます。どこへ行くにも、車で外出し、家に戻るとセントラルヒィーティングで家全体が暖かいのです。このような暖房設備は持ち家だけではなく、賃貸住宅でも同様です。
彼女の話を聞いた直後にカナダ人の住宅に招かれた時に、今度は私がびっくりしました。真冬だというのに半袖、半ズボン姿で迎えてくれたのです。家の内は暖房がよく効いていて、そのような薄着でも大丈夫なのですが、真冬に半ズボンをはくほど暖房をする必要があるのでしょうか。私は口には出しませんでしたが、「冬に半ズボンはないでしょう!少しは地球の資源のことを考えたら」と思いました。


アメリカの夫はとても大変?(センタープラザニュース2004年12月号掲載)

1年のうち2、3ヶ月をアメリカで生活をするようになって、何人かの親しい友人ができました。アメリカ人はほとんどの人がフレンドリーで社交好き、気軽に家に招いてくれます。
こうした際にアメリカ人のカップルを観察していると実に、興味深いのです。
まず、我国と最も違うのは「夫の気遣い」です。新婚カップルならともかく、もう銀婚式を迎えたようなカップルでも、夫はとても優しく妻に接します。我国の一部の夫のように人前で妻に対して「最近太ったね」とか「ずいぶん年とったね」とか決して言いません。それより「You are pretty」などと、平気で口にします。我々日本人から見るとよく照れもしないで、自分の妻をほめられるものかと思ってしまいます。
もちろん家事に対する協力は、我国とは雲泥の差です。食事の仕度、後片付け、清掃などほとんどすべての家事を手伝います。また、子育ても、とても協力的です。
少し前にシアトルのshopping センターで印象的な光景を目にしました。若い男性が赤ちゃんを自分の胸の前にくくりつけ(アメリカではおんぶはしないので、だっこの形で胸の前にひもで縛る)両手に大きな荷物を持って、私の前方を歩いているのです。そして良く見ると、そのすぐ前を妻とおぼしき女性がハンドバックだけを持ち悠々と歩いています。
皆さん、若い男性が赤ちゃんを胸に縛りつけ、両手に荷物を持っている姿を想像して見て下さい。何ともユーモラスで少し哀れな感じがすると思いませんか?
日本人である私から見ると「何でそこまでするの?」と思い、彼の妻がせめて荷物のひとつでも持ったらと思ってしまいます。ただ当の本人達は別に何とも感じないらしく、堂々と歩いているのです。
私は、彼らに追いつき追い越しながら心の中で「ああアメリカの夫は大変だなあ」と心から同情した次第です。


日本人は10才は若く見える?(センタープラザニュース2004年9月号掲載)
20年近く前になりますが、初めてバンクーバーに住み始めた頃、カナダ人特に白人の年齢がさっぱり見等がつきませんでした。小さい子供と老人はおよその年齢が分かるのですが、その他の人々は何才位か全く分からないのです。幼児を連れている女性が私の目からはおばあさんと孫に見えるのですが本当は親子だったり、又どう見ても中年の男性らしく思われるのに、まだ20才そこそこだったり・・・・
いちばん驚いたのは私の住んでいたコンドミニアムのすぐ近くにハイスクールがあったのですが、そのスクールバスからいつも学生ではなく、おじさんやおばさんが降りてくるのです。最初はP.T.A.の集会があるのだと思っていたのですが、そんなに毎日のように集まりがあるはずがありません。そこで知人に尋ねると、おじさんやおばさんに見える人は実は高校生だったのです。私はそれ以後「高校生」を観察したのですが半分以上はどう見ても高校生には見えず、中にはもう子どもが2、3人はいる女性のように見える人も混じっていました。
翻って我が同胞をながめるとなんと若く見えることでしょう!カナダ在住の知人が言っていたのですが「日本人は10才は若く見られる」という定評があるそうです。そういえば私を訪ねてきた日本の友人の多くは20才半ばの人はもちろん、30才を過ぎていても、レストランでアルコールを注文する際に「年齢を証明できるもの」の提出を求められたりします。中には40才を過ぎていても年齢を尋ねられたケースもあります。とにかくカナダ人やアメリカ人から見ると日本人は10才あるいはそれ以上若く見えるようです。
さて、私事になりますが今年の夏にシアトルのショッピングモールで貴重(?)な経験をしました。デパートで買い物をしていた時に見知らぬ男性から声をかけられ、デートに誘われたのです!!きっと年よりずうーっと若く見られたのでしょう。その時デパートの駐車場で数日前に女性が誘拐されそうになったニュースが脳裏をかすめ、恐ろしくてすぐ逃げ出しました。そして無事に自宅に戻ると、何だか少しうれしくなりました。私ぐらいの年齢になると久しく男性から声をかけられません。そう言えば最後に「ナンパ」されそうになったのはいつ頃だったのかしらと思わず真剣に思い出そうとしていました。

真夏の夢?「ファーストクラス搭乗記」(センタープラザニュース2004年6月号掲載)
あと1ヶ月ほどで夏のバカンスシーズンを迎え、海外で夏休みを過ごす計画を立てていらっしゃる方も多いと思います。
今回は20年ほど前の夢のような経験をお話したいと思います。20代半ば頃、初めてカナディアンロッキーを旅行して、その魅力のとりことなった私はその後、繰り返しロッキーとバンクーバーで夏休みを過ごしました。それは3度目の訪問の帰りの飛行機での出来事です。
バンクーバーのホテルをチェックアウトした後で、タクシーで空港へ向かったのですが、途中ひどい渋滞のため離陸する1時間少し前にやっと空港に着きました。あわてて航空会社のカウンターへ行き、私のつたない英語で遅れたわびを言い、夫と二人で並んで座れる席にしてくれるよう何度も頼みました。そうすると青い目の職員は「OK」「No problem」を繰り返し、なぜか笑顔で片目を閉じ、いわゆるウィンクをしながら搭乗券を手渡してくれました。しばらくして機内に入ると「2階へどうぞ」と言われたのです。
当時のC.P.航空の2階はファーストクラスの席なので、まさかと思い2階へ行ったのですが、自分の番号の席はやはりファーストクラスなのです。私はどうしても信じられず、あたりをキョロキョロ見渡し、なんとも落ち着かない気分でした。今にきっと係員が現れ、「間違いでした」と言ってエコノミーの席へ移動するように言われるのではないかと思い続けていました。やがて離陸し30分経った頃、やっとファーストクラスの席でこのまま帰国できるという“幸運”が私の身に起こっているのだという状況が分かってきました。
そう思うとファーストクラスの席の何という快適さ、乗務員はとても親切で「Madam」と呼びかけながら、ブランケットを直してくれたり、飲み物やお食事を運んでくれます。その料理のおいしさは一流レストラン並。すべてがエコノミークラスに比べて天国と地獄のような差です。
この「真夏の夢」は、ほぼ8時間ほど地上に降り立つまで続きました。
帰国した後で旅行会社に私のラッキーな出来事を伝えると、彼女は大きな声で「ファーストクラスの料金はツアーのエコノミークラスの7倍の料金よ。7倍!7倍!」と何度も叫び続けました。私は再び幸せな気分がよみがえってきました。「I was so lucky ! ! 」

私の駐車違反 STORY!?(センタープラザニュース2004年4月号掲載)
バンクーバーは3月の終わりごろになると一斉に花が咲き始め、街全体が緑と鮮やかな花の色に彩られ、観光シーズンが始まります。このようなバンクーバーで過ごした生活は楽しい事が多かったのですが、ひとつだけ不愉快な思い出があります。
それは駐車違反で、何度も罰金を支払ったということです。車を運転される方なら一度や二度は駐車違反で捕まった経験はあると思いますが、バンクーバーでは何度も違反キップを切られてしまいました。
まず最初は空港から始まりました。バンクーバーで生活を始めて間もない頃、知人を空港まで迎えに行った際、到着ゲートから最も近い「20分まで駐車可」というパーキングに車を止めたのですが、知人の入国が遅れ心配しながら、およそ30分後に車に戻ってみると「駐車違反」の切符がはさんでありました。これ以後は時間を守るように心がけたのですが、一度ダウンタウンで買い物していて数分遅れで路上に止めた車に戻ってみると恐れていたとおり、ちょうど駐車違反取締係りの人が違反切符を切った直後でした。私は「どうしてそんなに時間厳守なの!!たった3分じゃないの」と文句を言いそうになりましたが悪いのは自分ですから黙って罰金を支払いました。
その他にも路上パーキング用のコインを両替している間とか、駐車可となっているので、O.Kと考えて止めたら駐車可の看板に小さな文字で許可証のある人のみと書いてあったとか・・・思い返してみると5〜6回は罰金を支払ったように思います。
なぜこのように駐車違反に厳しいかと言うと、それは取締りを民間企業に委託しているからだと思います。我国も民間委託を検討しているとの新聞記事を読んだことがありますが、まだ実現は先のようです。民間企業は利潤を追求するのが経営の基本理念です。従って駐車違反をなるべく多く見つければ会社の業績が上がるのです。
皆様もバンクーバーで車を運転される場合には、駐車違反をされないようにどうぞ気をつけて下さい。本当に取締りが厳しいのです。ある時は助手席に乗っているのにレッカー移動されそうになったほどですから!!!

郷に入らば郷に従え?(センタープラザニュース2004年2月号掲載)
私は15年程前に数年間、バンクーバーとシアトル、日本を一年に何度も行き来する生活をしておりました。バンクーバーに10日、その後2週間はシアトルにいて、またバンクーバーへ戻り、1週間ほど滞在して帰国する。そんな日程で一年に2〜3回はシアトルとバンクーバーの生活を送っていました。
地図を御覧になるとおわかりになりますが、この2つの都市は国境をへだててわずか200kmくらいしか離れておりません。国境での手続きを除けば2時間半ほどのドライブでバンクーバーからシアトルへ行けます。この2都市とも海と山に囲まれた風光明媚な街で、類似点が数多くあります。ただこの2都市が国境をはさんでアメリカとカナダに分かれているせいか、人々の性格と生活様式が大きく異なっているように思います。国民に共通する性格つまり国民性をひと言で表現するのは難しいかもしれませんが、あえて言うなら、アメリカ人は『明るい』ということです。そして生活スタイルはすべてカジュアルです。
これに比べてカナダ人はアメリカ人よりずうっとおとなしく静かな人が多く、生活様式はアメリカより格式ばった感じがします。最近は通信手段等の急速な発展により世界が変りつつありますが、私が住んでいた頃のカナダは、古き大英帝国の伝統がまだ残っていて、伝統と格式を重んじる社会でした。そんな中で私の失敗談をお話しましょう。
シアトルで2週間ほど生活してアメリカ人の気楽で飾らない生活にすっかり慣れてしまった私達はバンクーバーの知人のホームパーティーに出席するために国境を越えました。そして何も考えずアメリカ人のようなカジュアルな服装で知人の家に行きました。家に一歩はいると私は凍りついてしまいました。他の人たちは男性は皆ネクタイをしていて、女性はスーツあるいは洒落たワンピース姿。それにひきかえ私達はジャケットも着ないでセーターのみ。何だか招待してくださった方に失礼ではないかと肩身の狭い思いをしました。そしてパーティーのあいだ、心の中で「ああ失敗したなあ。ここはアメリカではなくカナダなのだ!」と繰り返し思っていました。

サンタクロースと子どもたち(センタープラザニュース2003年11月号掲載)
11月も半ばを過ぎると、街角にはクリスマスの飾りが目立つようになります。我国ではここ数年ツリーやイルミネーションが段々豪華になってきたように思います。私がバンクーバーで生活を始めた20年近く前は、日本ではまだクリスマスイルミネーションは一般的ではなく、デパートや商店街のクリスマスツリーも現在よりずうっと小さく地味なものでした。従って私が初めてバンクーバーで迎えた1986年のクリスマスは今でもはっきり記憶に残っております。
バンクーバー全体がどこへ行ってもクリスマスの飾りであふれ、「こんなところまで飾るの?」と思うほど、あらゆるものにクリスマスの飾りがあるのです。一番驚いたのは、ビル工事現場のクレーンまでも電飾が施され、夕闇の中にくっきりとその形が浮かび上がっているのです。日本人である私は、工事用の長いクレーンまで苦労して飾る必要がないように思いましたが・・・・
その中で、今でも思い出すたびに思わずほほ笑んでしまう光景は、ショッピングセンターで目にしたサンタと子どもの会話です。
ショッピングセンターの中でひときわ人が多く、混雑していた場所に行ってみるとサンタクロース姿の男性が4〜5才くらいの男の子をひざに抱いて何か話しているのです。私はそばによって耳を澄まして聞いてみると、サンタ役の男性が子どもに「クリスマスには何がほしいの?」と尋ね、本物のサンタクロースと思い込んでいる坊やは瞳を輝かせて答えています。そしてその陰で子どもの両親らしいカップルがサンタとの会話を熱心に聞いているのです。両親が子どもの言った品をプレゼントすると、坊やはサンタクロースからプレゼントが届いたと信じるという手はずです。
まわりをよく見ると子どもの手をひいたカップルが列をなして順番を待っています。どの子どももサンタクロースと話ができるという喜びでほほを紅潮させていました。何という夢のある光景でしょう!私は子どもたちの姿に心を打たれ時間の過ぎるのも忘れて次々とサンタと話す子どもたちを見ていました。
最近の世の中は戦争や殺戮ばかりで、人々の心から“夢”が失われているようです。そんな中で未来を担う子どもたちには、どんな時代でも夢を持って生きてほしいと願っています。

日米ゴルフプレーの違い(センタープラザニュース2003年9月号掲載)
もうじき秋本番。いよいよゴルフシーズンを迎えますが、今回はアメリカ人と一緒にラウンドして感じた、日米ゴルフプレーの違いについてお話しましょう。
まずアメリカ人は、ほとんどのプレーヤーが“ゴルフは楽しむもの”と考えています。試合でもない限り上手にプレーすることより、楽しくプレーすることが大切なことなのです。
従ってゴルファーが最も緊張する最初のティーショットには、独特のルールがあります。それはMulligan(モルガン)と言って、もし一打目を失敗してもスコアに入れないで、打ち直しが出来ます。このルールは実に重宝です。失敗しても、もう一度打てると思うとリラックスして最初のティーショットを打てますから、良いスタートができ、これは次のホールにもつながります。
また、友人や家族でラウンドすると、時には「今の失敗はセカンドモルガンにするよ」とか言います。なんだかいい加減にプレーをしているようですが、試合でなければ一打スコアーを少なくしてもどうってことないって感じです。
これに比べて我国では“ゴルフ道をまっしぐら”というゴルファーが多く、楽しむことよりスコアーをあげることに重点が置かれているように思います。
次に、アメリカ人は実に相手を乗せてくれるのが上手です。そこそこのショットをしても「Nice shot」とか「Good shot」とか大きな声で言ってくれます。ゴルフをする方ならお分かりと思いますが、一緒にプレーする仲間から良いショットをほめられると、段々プレーに乗ってきて、時には実力以上のショットが打てるのです。本当にナイスショットをしたり、ロングパットが入ると肩をたたいたりして大騒ぎになります。
それでは、ひどいショットをした時のアメリカ人の対応はどうだか分かりますか?いくらアメリカ人でも2〜3メートルしか飛ばないチョロとか、隣りのホールに打ち込んだりしたショットに対しては、当然ですが「Good shot」とは言いません。なんと言ってくれたかというと「これはこのホールの最初の失敗ではないか」とか、「とりあえず前に飛んだでしょう」とか言って、なるべくダメージを少なくするような言葉を口にします。これも一緒にプレーする仲間と楽しくプレーを続けようとしている現れです。
では、調子がとても悪くて、本当にひどいショットばかり続いた時はどうなったでしょうか?さすがのアメリカ人も言葉を失って、ついに無言となってしまいました。そして黙々とプレーを続けたのです!!

6ヶ月もの長いバカンス!!(センタープラザニュース2003年7月号掲載)
アメリカでもカナダでも6月に入ると人々の間でバカンスの話題が多くなります。アメリカ・カナダの学校には6月中旬から9月の初めまで長い夏休みがあります。この2ヶ月余りがバカンスシーズンです。人々はこぞって近くの海や湖、山あるいは広大な国内を旅行します。もちろん海外へも出かけて行きます。
シアトル・バンクーバーとも、数時間のドライブで雄大な自然の残る景勝地、国立公園などがあるのでバカンスの条件は最高です。両国の高速道路はどんなに遠くへドライブしようと全く料金がかかりません。また、宿泊料金も我国に比べて割安です。つまりお金をあまりかけなくてもバカンスを十分に楽しめるのです。従って人々はバカンスシーズン中に2〜3日の小旅行から数週間の本格的なものまで何度もバカンスをとります。
そのせいで夏になると朝夕のラッシュ時の車の渋滞が少なくなり、ダウンタウンもビジネスマンより観光客が目立つようになります。
このバカンスに関していつも思い出すのが、バンクーバーに住んでいた頃の銀行での出来事です。8月の終わりに銀行へ行き不在時の手続きをした時の事です。6ヶ月ほど日本へ帰国するので、その旨を銀行員に告げたら「えー!6ヶ月間?それにしてもずいぶん長いバカンスだねえ」と言うのです。私は彼が冗談を言っているのだと思い、顔を見て確かめました。彼は真面目な顔で「6ヶ月なんてうらやましいなあ」と続けるのです。
我国では1週間とか2週間ならともかく、6ヶ月もバカンスを取る人は全くいないのではないでしょうか。現在の状況では6ヶ月ではなく1〜2ヶ月でもバカンスの休暇が欲しいと願い出たら、多分「永久の休暇」つまりリストラになるでしょう。
前の話に戻しますが、私は彼の大真面目な顔を見ながら、心の中で「6ヶ月のバカンスなんて、それはバカンスではなくバカデス」と思わずつぶやきそうになりました。彼には日本語のダジャレなんて分かるはずもないのですが・・・・

40才と50才の誕生日は盛大に?!(センタープラザニュース2003年5月号掲載)
アメリカやカナダではいくつになっても誕生日をお祝いします。我国では子どもの頃は友人を招いてパーティーを開いたりしますが、せいぜい小学生までです。また、恋人同士とか親しい友人の間ではプレゼントを交換しますが、それも若いうちだけの場合が多いようです。
ところがアメリカ・カナダではいくつになっても誕生日をお祝いが盛んです。職場でも家庭でも皆が祝ってくれ、テレビの番組でも「今日は○○のバースディーです」と突然ハッピーバースディの音楽が流れ花束が贈られたりします。又、遠くに住んでいる親や兄弟にも、電話やメールでお誕生日のお祝いを言います。
まだアメリカに行くようになって間がない頃、レストランで印象に残っている光景があります。10人くらいのグループが集まり主役と思われる女性の席に“50才の誕生日おめでとう”と書いた風船が結んであるのです。私は頭の中が?!!になってしまいました。50才と表示してある大きな風船なんてレストランの人に私は50才ですと知らせているようなものです。20才とか25才ならともかく30才を過ぎたら、不特定多数の人に自分の本当の年齢を知らせる勇気(?)ある女性は我国には少ないと思います。このような光景を何度か目にした後で、アメリカの友人に尋ねました。40才あるいは50才の誕生日は“over the hill”と言って特別な意味を持ちアメリカでは盛大に祝う習慣があるそうです。
そういう私もついにアメリカで“over the hill”の誕生日を迎えました。“○○才の誕生日おめでとう”の風船をもらい、うれしいようなちょっぴり恥ずかしいような気持ちでお祝いをしてもらいました。ただ一つ救われた思いだったのはパーティー会場が彼女の家でレストランでなかったことです。なぜって大勢の人の前で自分の年令を知らせるのはご勘弁願いたいからです。

カナダの老婦人はいつまでもLady(センタープラザニュース2003年3月号掲載)
バンクーバーに住んでいた頃に感じたことに、老婦人がいつまでも“きれい”だということです。町を歩いていても、買い物をしていても、きちんとした身だしなみで優雅な雰囲気の老婦人に度々出会います。彼女たちはお化粧をきちんとしていて、イヤリング・ネックレスなどアクセサリーもしっかり身に付けています。
それに引きかえ我国の老婦人で“素敵な人”と思うような人にはめったにお目にかかれません。中には、よく見ないと、おじいさんだかおばあさんだか分らないようなおばあさんもたまにはいます。
老婦人予備軍の私としては、どうしたらあのような優雅なおばあさんになれるのかずうーと考えていました。ある時、その答えがわかるような経験をしました。同じコンドミニアムに住んでいる80歳くらいの老婦人に用事があり、電話をしてこれから伺いたい旨を告げました。すると彼女は「今日は具合が悪くてお化粧をしていないし、ちゃんとした洋服も着ていないので誰にも会いたくない」と言うのです。80歳のおばあさんがお化粧をしていないと人に会いたくないなんて、私は衝撃を受けました。そして、口紅もめったにつけない私の母をはじめ、多くの我国のおばあさんたちの顔を思い出しました。
カナダの優雅な老婦人たちはやはり“心構え”が違うのです。80歳になってもいつまでも身だしなみを考え、美しくありたいと努力しているのです。その努力の積み重ねが優雅な容姿に現れてくるのではないでしょうか。いくつになっても魅力的な女性であり続けたいと願う生き方は見習いたいと思います。
“人生80年”の時代になった現在、我国にも素敵な老婦人が増えてくることを願っています。

失敗は成功のもと?(センタープラザニュース2003年1月号掲載)
アメリカ社会の良い点は数多くありますが、私が第一に挙げたいのが“やり直しができる”ということです。
人生という長い道のりで、いつも順風満帆に生きては行けません。人生には必ず失敗がつきものです。我々の社会では、アメリカに比べて失敗した後、立ち直るのが大変なような気がします。例えば、もうすぐ実施される大学の共通一次試験。我国では年に一度しか受験できませんが、アメリカではこれに相当するS.A.Tは年に数回実施されます。もし失敗しても数ヵ月後に再びチャンスが与えられるのです。このチャンスが何度でもある、つまり何回でもチャレンジできるシステムはアメリカ社会のすべてにあてはまるような気がします。
人生の一大事“結婚”にしてもアメリカ人は失敗したと感じたらあきらめたり、我慢したりするよりやり直す(離婚)方法を選択する人が多いようです。そして再びチャレンジ、すなわち新しい相手を見つけて再婚するのです。私の知り合いのカップルでも多くの人が夫婦のどちらかあるいは両方が再婚です。
このようにすべてのことに対して失敗を失敗としないで、いつもチャレンジ精神を持ち続けるアメリカ人に学ぶ点は多いと思います。
ただ一つだけ驚いた経験があります。親しい友人が結婚するという知らせを受け、2ヵ月後にアメリカへ行き新婦に結婚祝を手渡しました。そして数日後、彼と夕食を共にしたとき、何と「昨日彼女は出て行った」と言うのです。そして彼らはそのまま離婚しました。結婚祝を渡して数日後に別れるなんて本当に驚き、がっかりしました。心の中で「お祝いを返して!」と叫んでしまいました。

「頑張れ」と「Enjoy」or「Take it easy(センタープラザニュース2002年11月号掲載)
我々日本人は何かとすぐ「頑張れ」という言葉を口にします。仕事や勉強だけでなく遊びやスポーツを楽しむ時も頑張るのです。
子どもの時は、親から勉強に頑張れと言われ、又運動会や遠足でも「頑張れ」です。それから就職してからは仕事に頑張り続けます。そして年を取り体調が悪くなり病院に入っても皆から「頑張って」と励まされます。日本人の一生は「頑張れ」の連続なのです。
これに比べてアメリカ人やカナダ人は頑張らないのです。英語で日本語の「頑張れ」に相当する言葉はないように思います。日本人が頑張れと口にする時に、彼らは“Take it easy”又は“Enjoy”と表現します。頑張れとTake it easy又はEnjoyでは全く正反対の意味のようですが、同じような場面に使うのです。
言葉の背景には民族の伝統や文化があると思います。従って日本人は常に緊張していて何事にも一生懸命なのです。これに比べてアメリカ人は気楽にかまえ、あらゆることを楽しんで生きています。我々日本人も先の見えない不景気な世の中で頑張らないでTake it easyに生きて行こうではありませんか。ただアメリカで“Enjoy”“Enjoy”と何度も言われた時には、本当に楽しくない時にどうしたら楽しくなるのか逆に考え込んでしまいました。
これでは“Enjoy”も「頑張れ」も同じ意味ですよね。

アメリカの男性はおしゃべり好き(センタープラザニュース2002年9月号掲載)
アメリカで生活していて気がついたことにアメリカ人の“話し好き”があります。 アメリカ人は公共の場でも、あるいは家庭の中でも本当に楽しそうに会話をしています。
御存知のようにアメリカではホームパーティーが盛んで気軽に友人を招いてパーティーを開きます。 日本ではパーティーと聞くと、なんだか大げさに考えてしまいますが、アメリカではホームパーティーの料理は簡単なサンドイッチ、 パスタなど何でもOKです。集まる目的は“御馳走”ではなく楽しい会話なのです。
そして何回かパーティーに招かれて、私はあることに気が付きました。それは男性がとてもおしゃべり好きという事です。 アメリカ人男性は年齢に関係なく、ユーモアを交えながらありとあらゆる事を話題にしながら話し続けます。 そして3分に一度くらいは気のきいたユーモアで相手の笑いを誘うのです。
それにひきかえ我国では、おしゃべりは女性の専売特許(?)です。男性は仲の良い友人同士ならともかく、 あまり親しくなければ会話はすぐ途切れてしまいます。私は今までに「おしゃべり大好き」と自分から言う男性にあった事がありません。 又、最近は変わりつつあると思いますが、以前はおしゃべりな男性は女性に人気がありませんでした。 我国では昔から男らしい男性というのは無駄なことを口にしないで黙々として行動力のある男性のようです。 映画でもホームドラマでも頼りになる男性(父親)は高倉健さんが演じるような寡黙なタイプです。
そういえば、ずいぶん前になりますがヒットしたコマーシャルに“男は黙って○○ビール”というのがありましたよね。 私はこのコマーシャルはアメリカでは理解されず「なぜ、黙ってなの?」になると思います。そして、もし同じようなコマーシャルを作るなら、 きっと“男は笑って○○ビール”になるでしょう!だってホームドラマに出てくる男性はいつも笑っていますから。

バンクーバーの通勤ラッシュは午後3時から?(センタープラザニュース2002年7月号掲載)
バンクーバーでworking permitを取って、カナダと日本を度々往復しながら働いていた頃のことです。 常時バンクーバーにいないのでバンクーバー滞在中は仕事の打合せが重なり、1日に何人かの人と会う事になります。 午後の早い時間の打合せは問題ないのですが、午後4時頃にミーティングをしようとすると、決まって相手から断られるのです。 30分程度で終わる簡単なミーティングでさえも、午後4時の約束は相手から敬遠されるのです。私にはその理由がどうしても分かりませんでした。
ある日、その謎が解けました。Peterとの打合せが彼の都合でPM4時となりました。 その前の時間は彼は忙しく、どうしてもその日のうちにミーティングが必要だったので4時の打合せとなりました。 4時ちょうどに現れたPeterは4時半を過ぎると急にそわそわし始め、何度も時計を見るのです。 まだ完全に打合せが終わっていない4時40分頃に彼は言いました。「Stacey(彼の奥さん)に叱られる。 5時までに絶対に家に帰らなければならない。この続きはまたの機会に!」と言い残し急いで出て行ったのです。
190cmもある大男のPeterが奥さんを怖がってあわてて出て行く様子はとても印象に残りました。 そして知人のカナダ人にこの件を話したら、ほとんどのカナダの夫は5時頃には家へ帰り家事を手伝ったり、 夫婦で外出したりするそうです。従ってダウンタウンのオフィス街では午後3時を過ぎると帰宅する車のラッシュが始まり 、4時半頃がラッシュのピークで、5時を過ぎるとガランとしてしまいます。
最近では我国でも家庭を大事にする男性も増えてきましたが、まだ家庭より仕事の方が優先されるようです。 男性にとって“家庭”と“仕事”とどちらが大事かと日本では時々問題になりますが、カナダではそんな議論はありません。
どちらが良いかは私には分かりませんが、カナダでは“家庭”つまり個人の生活の方が仕事より優先順位がずうっと高いのです。

アメリカ人は ほめ上手(センタープラザニュース2002年6月号掲載)
アメリカで生活していると、我々日本人とは違うアメリカ人の長所に気がつきます。
その中で特に人間関係を潤滑にするために見習いたい事に“ほめ上手” があります。アメリカ人は実によく人をほめます。これは他人ばかりではなく、身内でも何のテレもなく、他人がいる前でも「ハニー(Honey) 今日は一段ときれいだネ」とか、子供に向かって「あなたはなんて優秀なんでしょう。私の誇りね」とかこちらが聞いていて、なんだか気恥ずかしくなるようなことを平気で口に出します。又、知り合いの人でなくても、相手の良いところに気が付いたらすぐに口に出してほめます。私も見ず知らずの人から「素敵な黒い髪ネ」と言って声をかけられた事があります。
まだ、アメリカ生活に慣れない頃は、ほめられてもどう答えていいか分からず、とても恥ずかしくてドギマギしていたのですが、段々“ほめられ上手?” になってきました。ほめられたら「Thank You 」と言ってニッコリ微笑んだらいいのです。そして、ほめられると実によい気分になることも分かってきました。人間は誰でもほめられていやな気分になる人はいません。 相手のよい点を見つけてほめてあげれば、人間関係がスムーズになること 請け合いです。
さあ皆様も今日から思いきって、友人や職場の人、あるいは家庭で夫や妻、子どもをほめてみましょう!! 
ただ、ほめ上手の国から帰国した後は、毎日がユウーツな日々となります。 身内の人も他人も、誰もほめてくれないのです。仕方がないから、他人からほめてもらった時のうれしい気持ちを懐かしく思い出しながら、自分で自分をほめるしかないのです。 そう言えば「自分をほめてあげたい」と言った有名なマラソンランナーがいましたよね。

日本人の苦手な“R”と“L”の発音(センタープラザニュース2002年4月号掲載)
中学校の英語の授業のときに教師が“R”と“L”の発音の違いについて一生懸命教えてくれました。その時は何度聞いても違いが分からなかったのですが、まあ何とかなるだろうと思っていました。その後何年かたってカナダへ初めて行ったときに何とかならないことに気がつきました。
カナディアンロッキーの有名な景勝地ルイ-ズ湖(Lake Louise)でのことです。
エメラルド色の湖とその背景の残雪の山。あまりの美しさにすっかり魅せられた私は売店で絵葉書を買いたくなりました。「Lake Louise」と私が何度繰り返し発音しても、カナダ人は全く分かってくれません。他の場所でルイ-ズ湖の絵葉書を探しているのではありません。その場所なのに本当に通じないのです。私の発音はきっと「Rake Rouise」となっていたのだと思います。
「Rake」は落ち葉などをかき集める「熊手」の意味になります。これでは誰も分かってくれなくても当然です。「熊手」と何回叫んでも湖とは全く違いますよね。
その後“R”と“L”では何度も困った経験をしました。例えばバニラ(vanilla)アイスクリームを注文したつもりが、バナナ(banana)アイスクリームになったり、マンションの管理人に「Hello」と話しかけたら「Harold(彼の息子の名前)は、今出かけているよ」と返事をされた事もありました。
こんな数々の“R”と“L”の悲しくもおかしい体験をアメリカ人の友人に話したところ、特訓をしてくれ、ついにマスターしました!簡単に説明すれば、“L”を発音するコツは上あごの歯の裏に舌の先をしっかりつけたまま“L”と発音すればOKです。皆様もお試し下さい。

履いた靴は返品できるの?(センタープラザニュース2002年3月号掲載)
今回も買い物に関する話題です。
シアトル&バンクーバーでショッピングをしているときに気が付くことに“返品”の多さがあります。アメリカ人もカナダ人も実によく買った物を返すのです。 日本ではよほどのことがない限りあまり返品はしませんよね。だから返品をするときには「理由」と「勇気」がいります。 アメリカ・カナダではレシートを添えてただ「I don’t like it」と言えば、ほとんどの場合すぐ返品に応じてくれます。
友人から聞いた話ですが、あるご夫婦は来客用にベッドを購入してお客さんが使用した後、必要がなくなったのですぐ返品したそうです。 こんなことは日本では誰も思いつきませんし、店が受け取ってくれません。
今まで一度だけ店側が拒否したケースを見たことがあります。それは何だと思いますか?6ヶ月も履いた“古い靴”です。 半年前のレシートと明らかに履いた形跡のある靴を見比べた店員は、すぐ返品を承諾しないで「マネージャーに聞いてみます」と返答しました。
ちなみに数回履いただけであまり靴底のいたんでいない靴は返品OKです。

カナダのデパートは時間厳守!!(センタープラザニュース2002年2月号掲載)
カナダのデパートでショッピングをしていた時のことです。
閉店時間の30分前になると「あと30分で閉店です」と館内放送が流れます。急がなければと試着をしていると店員さんが「あと15分です」 とわざわざ試着室に言いにやってきました。急いで試着を終えレジに行くと閉店の5〜6分前でした。 私は当然支払を済ませば買えるものと思っていました。すると店員さんは「私は6時にこのデパートから出なければならないのにどうして今から売ることができるのよ!」とまじめな顔をして言いました。
6時閉店ということは、カナダでは6時まで商品が買えるという 意味ではなく、従業員の人が仕事を終了して6時に店を出るということなのです。自分の気に入った洋服を買えずにがっかりした私も、 お店を6時ちょうどに出ました!!
 

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